Skype勉強会(スカゼミ)に所属する人の日記

Skypeプログラミング勉強会の内部をレポートしていきます。

発達障害者、アスペルガー、自閉症スペクトラムの離婚率について

自閉症スペクトラム」「アスペルガー」「離婚率」で検索すると、80パーセントでものすごく高いみたいな記事があって、傷つけられた方が多いと思います。
僕も自閉症スペクトラムアスペルガーを持っているので、こういう記事に傷つけられました。
僕はつくづく日本語の記事ってクソだなーと思うのです。こういう迷信みたいなことが日本語では未だに跋扈しているんですよね。
ということで、英語で「autism spectrum divorce rate」で検索してみました。

結論から言うと、自閉症スペクトラムの離婚率は高くないです。

では、検証していきましょう。

まず最初に取り上げる記事はこれです。

http://www.webmd.com/brain/autism/news/20100519/autism-famlies-high-divorce-rate-is-a-myth#1
(Autism Families: High Divorce Rate Is a Myth アクセス日時:2017年1月7日)

検索でトップに出てきた記事です。
これによると
自閉症を持つ子供を持つ家族と持たない家族において、家族構造において著しい違いはない」ということです。
事実においてあることは
自閉症を持つ生物学的、または、養父母の離婚率は64%ともにである。そして、自閉症を持たない(生物学的または、養父母の)離婚率は65%である」と医学博士のFreedmanは言ってます。
自閉症が遺伝するとすれば、この事実はつまり、夫、または、妻が自閉症でも、そうでなくても、離婚率は変わらないことを示唆しています。
そして、自閉症の子供を持つことにより、離婚率は1%下がることを示唆しています。
そして、Freedman博士は、「(離婚率が80パーセントであるという言説は、)自閉症を持つ両親の自信を無くさせ、恐れさせる」と言ってます。
さらにFreedman博士は言います。
「確かに、自閉症を持つ両親の研究は、追加的なストレスについて話すことが多い。だから、そのストレスが離婚へと導くのかもしれない」
それと同時に、僕は発達障害を持つ人に余計なコンプレックスを抱かせて、ちゃんと結婚しないと僕は思うんですよね。

ということで、自閉症スペクトラムを持つエンジニアさんも、エンジニアでない自閉症スペクトラムの方も、ちゃんと結婚して子供作りましょう。
ちょっと学術的なフォーマットに従ってないのですが、問題あったらご指摘ください。

reference

Brian Freedman, PhD, clinical director, Center for Autism and Related Disorders, Kennedy Krieger Institute, Baltimore.
Geraldine Dawson, PhD, chief science officer, Autism Speaks; research professor, University of North Carolina, Chapel Hill.
International Meeting for Autism Research, Philadelphia, May 20-22, 2010.
Levy, S. Journal of Developmental & Behavioral Pediatrics, May 2010; vol 31: pp 267-275.
Julie and Peter Waldron, Baltimore County, Md.

起業とかする人はブログを書くべきなんじゃないだろうか

個人的な思いとして、起業とかする人はブログとか書くべきなんじゃないだろうか、というのがある。

ブログに書くことがないということは、自分自身に思想がないということであり、起業とかするには「思想」というものが必要だということだ。

別に雇われ仕事をするのに「思想」は必要ない。というか、むしろ邪魔になる。

でも、起業の場合は、「何をするべきか」を考える必要がある。

「何をするべきか」を考えるのは、哲学であり、思想であると思う。

その「思想」をブログに書いていく必要があるんじゃないかと思う。

つまり、事業というのは、「なぜそれをする必要があるのか」「なぜそれが必要なのか」を考える必要がある。

それを、人に説得力がある形で提示できないといけないんじゃないだろうか。

これは結構難しい問題で、どこから思想を持ってきてはめ込んでもうまくいかない。

必要なのは問題意識で、「現在のやり方の何が問題なのか、解法は何なのか」を常に考える必要がある。

起業が「お金儲け」だけで考えてもうまくいかない理由もそこにある。現在のやり方の問題点を提示して、解法を提示しないと、世の中の人はお金を払わないんじゃないかと思う。

「現在のやり方に問題意識を持って、解法を考える」というのは、別に起業家だけに必要な能力ではない。会社員や学生にも必要な能力だ。

だが、会社員や学生は、「とりあえず上司(教授)の言うとおりにしていたらなんとかなる」ということがあると思う。

それがなんとかならないのが、起業家である。誰かの言うとおりにしていたらうまくいくという「人生モデル」が成り立たないのである。

つまり、起業家は、起業家をやっているうちに、自然と「解法を考える」ようになる。

これが、多分起業家が「つぶしがきく」と言われている所以だと思う。

今日はスカゼミでRuby on Rails勉強会と高校数学勉強会があった

今日はスカゼミでRuby on Rails勉強会と高校数学勉強会があった。

Ruby on Railsはwebフレームワークで、Webアプリを作れる。使えると楽しそうな技術である。

いつも通り、Skypeによる音声通話と、join meによる画面共有で実行状況を共有していった。

個人的にMOOCやYouTube動画で勉強していたことがあるのだが、動画による勉強が結構イライラするのである。

だが、join meによる画面共有とSkypeだと、人間とのインタラクションがあるので、あんまりイライラしないのである。

例えば、それは、間違っていたら指摘して反応があるとか、詰まっていたら一緒に考えてあげるとか、そういうことだと思う。

YouTubeによる学習だと、最初に「正解」が提供される。視聴している人は、その「正解」をたどるだけである。

それは、高校の勉強における「苦しさ」とも関連がある。

人の考えをたどるだけというのは、独特の苦痛が存在する。普通は、「不完全なもの」に対して、コミットして改善していきたいものである。

githubによるオープンソース開発が流行っているのも、オープンソースソフトウェアをコミットして改善していける点が、非常に魅力的なんだと思う。

プログラミングの勉強において、ニコニコ生放送で、放送して色んな人に教えてもらうのも良い手の一つであるが、Skype勉強会でセミナーを開くのも良い手の一つである。

スカゼミでSkypeベースの勉強会を受けている理由

スカゼミでSkypeベースの勉強会を受けている理由は、一つは楽しいからだと思う。

一人で孤独にガリガリ勉強していくことは辛いことだ。通信制大学が辛くて続かない理由も、やはり孤独にやっていくのが辛いからだ。

最近はMOOC等があるが、孤独であることに変わりはない。

結局のところ勉強というのは、勉強が達成されたことを喜び合う仲間がいないと続かない。

ガリガリと本を読んでいくのは勉強の基本ではあるが、それでもコミュニティは必要だ。

数学や物理、プログラミングの本は、その本の「読み方」というものがあり、それはコミュニティで共有する必要がある。

大学内や企業内では、そういうことも共有されているのだが、その外にいる人が知識を共有するには、やはりSkypeによる勉強会が必要なのかなと思う。

一つコミュニティベースの勉強会の利点として、それが本質的に「自分たちのもの」であるということだ。

企業は基本的に経営者や株主のものだし、大学も基本的に生徒のものとはいえない。

企業は、基本的には方針は経営者が決めていると考えていいと思う。大学も、基本的には教授が基本的には方針を決めていると言っていいと思う。

ということは、コミュニティベースの勉強の場合には、基本的には方針は自分たちで決めないといけない。

でも、基本的に方針を決めるという作業は、基本的に楽しい作業であるし、学んでいる自分たちが自分たちで方針を決めるというのは、ある一種の「生産性」を孕んでいる。

方針を自分たちで決めるというのは、そのための「哲学」が必要だ。哲学は「何をするべきか」を考える学問だからね。

方針を人に決めてもらうことは、その「哲学」を放棄しているということだ。それはある意味楽でもあるし、ちょっとまずい状況を生むこともある。

「すべての人が学ぶ人であり、すべての人が教える人である」という「教育機関」が、インターネット上に実現されているのは、興味深いことだ。

個人的には、「教える人がいて、教わる人がいる」というモデルは、限界を迎えているのではないかと思う。

教える人が一方的に教えるだけというのも問題だし、教わる人が一方的に教わるだけというのも問題がある。

教える人も教わるべきだと思うし、また、教えることが一つもない人も珍しいと思う。

個人的には、こういう「教え合う」モデルはいろいろな方面に拡張できるんじゃないかと思う。

コンテンツについて、一考察

結局のところ、かつて「コンテンツを配信するのにコストがかかった時代」が存在したのかなと思う。

今は全くコストがかからないわけで、逆にコンテンツをタダで共有することによるベネフィットが増えてきた。

例えば、広告収入もそうだし、また、「見てもらう」事によって、コンテンツが精査されることもそうだ。

そういう時代においては、フリーで提供されるコンテンツのほうが有料のコンテンツよりも品質がいいということになりがちだ。

原因としては、配布コストの減少があると思う。
コンテンツを生み出すコストはむしろ昔より減少していて、さらに、コンテンツを配布するコストも減少している。

つまり、言いたいことは、コンテンツを生み出し、配布するための、大学や学校とは別の枠組みが必要なんじゃないかということだ。

多分、インターネット時代にはインターネット時代に合った情報共有の手段が存在する。

インターネットは「正しさが担保されていない」というが、だからといって、「すべての情報が正しさが担保されている」と考えるのは間違っているんじゃないかと思う。

正しさの担保は、自分自身で一歩一歩積み上げていくしかないのかなと思う。

つまり、「大学が出す情報だから正しい」というのは、そもそもの大学自体の考え方とはズレてくる。

そもそもが、「矛盾する情報が多くて何が正しいかわからない」ということから始めるのが正しい感じがする。

「絶対的に正しい情報が存在して、それを学ぶべきである」というのは、明らかに思考が停止していて、従来の教育は、そういう思考に学生を追い込むリスクを孕んでいるんじゃないかと思う。

学生に「正しい情報を与える」のは、そういうリスクを孕んでいる。

だから、多分、「これは本当に理屈が合っているのか」と考えることが重要だと思う。

タダのコンテンツでいいのが増えてきた

そういえば、書籍より、インターネット上のコンテンツで良いコンテンツが増えてきた。

そもそもが、「良い教育にはお金がかかる」という間違った認識が世の中にある感じがする。

それが大学バブルの原因の感じがする。

良い教育にはお金はかからないし、タダで良い教育はあるし、お金をもらえて良い教育は存在する。

どうしても人間は、お金を払ったものに価値を認めてしまうが、それが多分間違っているんだと思う。

食費とかをケチってはいけないと思う。安い食事はだいたい体に悪い。

Macを買うのをケチってはいけないと思う。

お金をケチってAndroid買ってはいけないと思う。iPhoneを買うべきだと思う。

食費をケチって、Androidを買って、学校にお金をつぎ込んでるのを見ると、なんだかなーと思う。

僕も過去にそういう時期あったけど。

選択肢を絞るための戦略として、「お金をケチる」というのがあるのではないだろうか。

現在は選択肢が非常に膨張する時代である。インターネット上にはコンテンツが溢れ、アマゾンには何千万種類の商品が並んでいる。

選択肢の多さは幸福感の減少につながる。それについては以下の記事が詳しい。

 

「人は自由になるほど幸福度が下がる」 "選択のパラドクス"が起きる4つの原因 - ログミー

 

こういう選択肢の増大に関して、一つの戦略を考えたので、書きたいと思う。それは、「お金をケチる」ということである。

例えば、プログラミングを学ぶ時は、フリーで使える教材を使う。開発環境も、フリーで使える、または、既存のコンピューティング資源で使えるものを使う。

本はできるだけ買わない。本を買う時は、「買う価値があるか、読む時間があるか」ということを吟味して買う。

できるだけ立ち読みですませる。

そうしないと、読むべき本が増大して収拾がつかなくなる。

はっきり言って、フリーの教材を使っても、選択肢がまだかなり残っていると思う。だが、かなり選択肢は削られたはずだ。

さらに、選択肢を削る行動原理としては、「できるだけお金のもらえそうな方向に行動を持っていく」ことだと思う。